漫画とは違う魅力があった。小説家はすごい。形のないものを言葉にするほど難しいものはないんじゃないかと思う。漫画ではコマとコマをつなげて登場人物の動きを想像する。絵に情報はあるのでそれをもとにイメージを膨らませればいい。小説は言葉のみ。しかも、挿絵が使いまわし。だから、情報は本当に言葉だけ。色から人物の雰囲気、触覚、痛覚なんて自分の経験から想像を膨らます。だから、人によってはめちゃリアルなのだ。小説と漫画なんてくらべられるものではないのだけど、語彙の乏しい私にとって、小説家っていうだけで尊敬に値する。そして、この小説版「聖闘士星矢」はすごかった。新たな発見があった。
改めて、氷河の美しさを知った。氷河と紫龍の美しさの違い。言葉にしてみてください。イメージはできます。ブロンドの髪と青い瞳、漆黒の髪に瞳の違い。クールで内に秘めた情熱の美と義理堅い忠義に溢れた熱い美。語彙の乏しい私はこれが限度だし、何いってるのかわからない。漫画とアニメからの私の中の氷河のイメージがこの言葉を得ることで、新しく生まれ変わりより一層輝きを持った。
白鳥のイメージが重なる、物語の挿絵に描かれている様な、貴公子だった。子供でもなく、青年でもない。ほんのひとときの少年にしか持ち得ない輝きは、ともすれば孤高になりがちで、薄く光の張った青い瞳は、人を突き放すような表情をしながら、どことなく寂しげだ。(『盟の章』より)
紫龍は無骨なイメージの龍座の聖衣とはあるいは対照的な、つやのある紅顔の美丈夫だった。やや細身でさえある。それゆえか、重たくなりがちな男の長髪もどこか似合ってしまう。腰まである黒髪を結わえれば、きっと凛々しい若武者のようだろう。(『血の章』より)
これだけでは、いまいちなんだけど。本を読むにつれ確実に自分のイメージが美しく変わります。美形キャラNO,1のサガの美しさも是非、描いていただきたかった。あるのは「サガの乱」ばかりで悪者扱いです。サガだって盟並に、それ以上に13年間も苦しんでたのに悪人扱いはひどい。おまけに、もっとひどいのはデスマスクの扱い。サガとデスマスクはぐるだったなんて、デスマスクは強いものが好きなだけなのに。救いなのが弟子(盟)が美形ってことかしら?私のイメージではアスガルド編のアルベリッヒとフェンリルに近いかな。どう?けっこう美形でしょ?ニコルもなかなか知性的。教皇代理の白銀聖闘士です。髪型はやや短めで、身長は紫龍ぐらい。私のイメージはカノンの短髪ていう感じ。もう、美形好きにはたまらない小説です。敵にほうはやや不細工だけど。でも荒木さん姫野さんに、かかったら、きっとかっこよく美しくなるんだろうなぁ。とくにアシンメトリーのテュポンはすてきだろうな。右半身は炎、左半身は雷で右目からでる炎は睫毛のように目じりを飾り、青白い稲妻は左半身を包んでいる。悪美と善美はどちらも美しいけど、アテナのほうが断然いい。だって、テュポンと口にするだけで言霊により死ぬらしい。そんなの嫌だ。美しさは安全でわかり易いのが一番です。だから、美形No,1はサガなんです。
これぐらいで美形論は終わりにして、本筋にいきます。っていうか、読んでください。『聖闘士星矢』なのに主人公は盟でした。星矢君 かわいそう。紫龍なんて盟の章からだし、ましてや一輝なんて最後から14pめにやっと登場します。この世界を救ったのはほとんど 一輝です。さすが、強い。”鳳翼天翔”で世界の危機は救われるのです。ストーリー展開が速すぎで戦闘シーンなんか、東映漫画祭り並の ものたりなさです。アニメや漫画では血がいっぱいでないので痛い感じはしないのですが、小説はリアルです。痛い、痛い。よくアテナの 聖闘士は戦える、感心します。常人の私には無理です。「よかった、私一般人で」と神に感謝してしまいました。この平和があるのも どこかで誰かが戦ってくれてるからでしょうか?ちゃんと、感謝しましょうね。まぁ、戦いのない平和が一番いいですが。 ギガントマキアは歴史にさえ残す意義のない戦いらしいです。私の感想は意義のない感想ですね。 (また、無理やり終わらせていただきます。)
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